みなさん、おはようございます😄
この「てるてる日記」では、この代表である自分自身のうつ病や難病での体験から、自分が取り入れて良かった方法や考え方について、お伝えしております。
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みなさん、お変わりございませんか?
前回は7月末でしたが、『「酷暑を乗り切ることで未来への門が開かれる」~暑さ対策と水分補給と~』について、お話ししました😄
それから、実は体調不良となり、コロナウィルス陽性の判定とともに2つの肺炎を併発、救急搬送され入院。
ICUにてずっと治療を余儀なくされる状況に陥りました。
今回は、そのことを、『新型コロナ感染「徳島県立中央病院の職員のみなさん、どうもありがとうございました!」~返すべきご恩はますます増えて~』として、お話ししたいと思います。
8月当初から風邪のような感じと発熱がして。
近所のかかりつけ医に電話して行くと、「発熱外来」というところへ通されて、「薬出しておきますから!」
いちおう総合病院なんですが・・。
数日後には食事も出来ず、ほぼ部屋から動けない。
電話しても「薬飲んで寝ていれば治ります」
「せっかく余命宣告受けても頑張ってここまできたのに、もうここで私はおしまいなのか?」
そして、3回目の通院時、朝電話すると、「午後からお願いします」
車の運転、無理だからタクシーで今度も。
必死で頼んで検査をしてもらえることになりました。
「コロナ陽性です!まだ検査して間がないのに陽性医表す線がはっきりとと出てます!」
と、看護師さんが急にあわてて医師を呼んできて。
あとは、車椅子に乗せて検査をいろいろする間、私はずっと泣いていました。
「泣かなくても良いのに」と看護師さん。
そのときの私の心情は、
「やっと検査してもらうことができた。助かるんだ。。」と。
単身生活で一人で過ごせと指示されても悪化し続ける身体。
やらなければならない仕事は手が付けられない。
「依頼者に申し訳ない」
私を信じて障害年金の申請を依頼された方たちのことを思い、私はもう最後まで仕事ができないかもと思うと辛かったのです。
しかし、1時間ほどして、雰囲気が異様に。
「なんで、短期間にこんな酷い肺炎に!」と医師。
そのとき、私はその病院で入院の説明を受けて、書類を記入していました。
急に職員がバタバタしてきて、医師が
「楠さん、肺がもう真っ白ですよ!」
真っ白だと何なんですか?もう頭の中が真っ白で何もわかりません。。。
そして、「ごめんね、せっかく書類を書いてもらったのに。」と看護師さん。
医師から言われたのは、「県立中央病院へ救急車で。職員が同行しますから。」
「えっ!」
「部屋で薬飲んで寝たら治る」
そう言われて部屋を出た私は、エアコン、電灯付けっぱなし。
生ゴミの心配をしていました。
「仕事の依頼者へ連絡もできない・・」
後々わかりましたが、不用心にも玄関の施錠もできてなかった、それほど私は弱っていたようでした。
さて、そこからは徳島県立中央病院へ救急搬送。
すぐにICUにて治療が始まり、
「人工的に意識を絶って人工呼吸器を肺の奥まで入れる、もうこれしかないとかんがえています。」
という担当医師の治療の方針についての説明を耳にしながら、私は、
「いったい誰の、何のことを言ってるんだろう?」と考えていた私の入院生活についてはこちらのブログに⬇😓
コロナウィルス陽性、ICUで集中治療を受けておりました! | 自らが病気で障害年金をもらった社労士が、あなたの障害年金のお悩みを解決いたします! (ameblo.jp)
そうやって入院したのが8月8日。
やがてお盆となり、徳島恒例の阿波踊りが始まったようでした。
毎年のことですが、阿波踊り期間が終わるとドッと感染者が増えるというのが、世の中での見込みでした。
私自身もそう信じていました。
けれども、現実には、『まだ阿波踊りが始まってばかりだというのに、日が経つにつれ、毎晩、救急搬送される方が増えてきて、中央病院もコロナウィルス陽性患者で13日、14日には満床になった』そうで、私は驚いたのです。
いつもはニュースでこうした話題を耳にしていた私。
この夏は自分自身で体験いたしました。
が、そこで一番感じたことは、医師や看護師さんたちの大変さ。
時間に追われ、人に追われ、ほぼ三交代制でずっと来てくれるものだから、おかげさまで顔見知りの職員さんたちがたくさんできました。
民間病院では総合病院でも、発熱外来というまるで裏口入学のような離れた離れた出入り口からコッソリ病院へ入る。
「病院経営上、風評被害が気になるのか?」
私はそんな感じを受けました。
そういう結果、結局、徳島県では徳島市内の県立中央病院しか入院病床がないようで、あと徳島市より南に行けば小松島市に赤十字病院があり入院病床があるくらいです。
そのため、どうしても県都である徳島市内の、私の入院していた県立中央病院へ集中することを余儀なくされるのです。
こうして、医師や看護師さんたちが、大変苦労されていることを知りました。
私は自分自身がお世話になることで、ずっと申し訳ない気持ちがして、いつも合掌しながら御礼やお詫びを申し上げていました。
が、そんなときでも、職員さんたちは「気にしなくても良いんですよ、仕事なんですから。」と口々に言われ、慰めてくれたものでした。
私は、
「これってどうにかならないものなんだろうか?こんな状態がいつまで持つものなんだろうか?」
と入院中、お世話になる職員さんの姿を目にしながら、真剣にずっと考えていました。
21日に早めに退院出来ることになりました。
私には、本当に病院の職員の皆さんには感謝の言葉しかありません。
ただ、こうして自分がお世話になったことだけは決して忘れることなく、いつの日か恩返しをできるようにと考え、現在、帰宅後の日々をリハビリのようにしながら、過ごしております。
難病を患い、ずっと10年以上余命宣告を受けて過ごした日々も、今回のようにまさかコロナウィルスでというような突発的な出来事でも、私にとっては文字通り、どちらも自分の生命に関わることです。
ちょっとしたボタンの掛け違いのようなことで、生命が助かったり、またそうならなかったりするのだろうと考えました。
私の場合は、感染時は急激な悪化に医師も「運が悪い」と考える状態だったそうですが、後でよく考えると、途中からの流れはその反対だったように思えます。
お盆になる前の8月8日に救急搬送。
それからすぐにICUに入室できて治療が受けられた。
職員さんたちにもまだ少し余裕があり、治療にいっそう専念していただいた気がします。
言うなれば、「タイミングが良かった」
次に、病院がコロナウィルス陽性患者で満床となったお盆の13日、14日には、私は相当に治療を続けて受けられており、その結果、なんとか窮地を脱することができたのだと思われます。
その後も増え続ける患者を私は横目に見ながら、陰性と判定された日から私は杖を持って病棟を歩く練習をしていたわけです。
これらが少しずつ、後にズレる等していたとしたら、私は現在、まるで違った状況にいたことでしょう。
こうした偶然と思われるようなことがいろいろと重なり、私は助かったのだと考えます。
ただ、そういう私の可能性の推測よりも、現実に私自身が病院にいて受けた渾身的な職員さんたちの看護があったからこそ、私は良くなることができた次第です。
今、まだ私は日常生活を過ごすのがやっとの状態です。
が、自分自身が今回、このようにお世話になったことを、いつの日か何らかの形でお返しすることができるように、そう思いながら、心の中には温かい灯がともったような気がいたします。
これまでの恩返しをするために設立したこの「NPO法人しおん」。
「しおん」は「師恩」と「至恩」の2つの言葉から名付けました。
ですが、お返しすべきご恩が、歳を取るとともにますます増えていくようで、
「それまで私は元気で頑張らなければ」
と思うのでした。
恩返しをしながら生きていこうと思った私も、
『生き続けているとまた新たにお世話になるできてきて、結果、気がつくといっぱい恩返しすることが増えている。』
人生って、生きていれば実際にはそうなのかもしれませんね。
そういうことがあったときに、『「自分自身がお世話になったからこそ、次は自分がみなさんに対して・・」と思うことができる人たちが増えていけば、社会もまた温かいぬくもりでいっぱい満たされる』ような気がしました。
以上、『新型コロナ感染「徳島県立中央病院のみなさん、どうもありがとうございました!」~返すべきご恩はますます増えて~』についてでした🙇
では、また来週金曜日にお会いしましょう。🙋
なお、よろしければ次のブログもご覧になってください🙇
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(続く)