みなさん、おはようございます😄
この「てるてる日記」では、この代表である自分自身のうつ病や難病での体験から、自分が取り入れて良かった方法や考え方について、お伝えしております。
シンプルプラン [徳島障害年金サポートセンター ライトハウス社会保険労務士事務所:認定率100%継続中] (lighthouse-sharoshi.com)
先週は、『「終わりよければ全てよし」~病気になったからお終いではない~』について、お話ししました。
今週は、『「道は開ける」~悔いを残さないためにも~』について、お話しします😄
実は、社会保険労務士の試験は毎年8月末にあります。
私ももちろん受験生でした。
この時期になると、やっぱり思い出します。
私が合格した年の受験のときは、例年と同じように前後で1泊ずつ、合計2泊していました。
健康な方はいつもほとんど日帰りしているようですが、片道2時間足らず、高速利用だとその半分の工程が病気の私にとっては、本当にとても長く、また遠くに感じられていました。
また、1年中でも夏の時期、特に8月は私にはとても辛い時期だったので、当時は本当に受験するだけでも精一杯なのでした。
私の気持ちはもう、「14万8千光年の彼方にあるイスカンダル星を目指す宇宙戦艦ヤマト」の気分でした。
この年もまた、受験後、会場から宿泊先までトボトボ、うつむいて私は歩いていました。
「なんで2泊までしてこんなことに・・・」
「また不合格だ、しかも惨敗・・・」
と、本当に辛い気持ちで帰っていたのです。
近いはずの宿泊先の宿舎がずいぶんと遠くに思えたものでした。
夜7時頃から始まる各予備校の「解答速報」で自己採点を行うため、私はまずシャワーをしてスッキリさせてから早めに晩ご飯を取って、気持ちの切り替えをしようとしていました。
そうして、時間を午前と午後、2回の試験に分けて、解答速報が始まりました。
「何をどう間違えたのか、来年のためにもしっかりしないと・・」
と暗い気持ちのままで自己採点を始めたのです。。。
午前と午後、2回の試験ともそれぞれ3度ずつ、自己採点をやり直しました。
でも、結果は、
「8割、できてる!合格してる!あれ!」
違う予備校のもまたネットで確認しながら行いましたが、どうやっても合格は間違いではないらしい。。。
次の日の午前中に高速バスに乗り込んだ私は、晴れやかな気持ちで自宅のある徳島へ私は帰ることになったのです。
そうして、さらに丸1年間、できるだけの努力をして病気の回復と同時に、1年後の開業に向けて、帰宅後すぐに準備を始めたのです。
病気である私には「ここから先の方がもっと困難となるので、もっと病気も良くしておかなければ。開業したらもう私には後が残されていない・・・」という今度はさらに、大きな夢と悲壮感を抱えながら再発進したのでした。
ここで私が言いたいことは、「諦めたらだめだ!」ということです。
「試験は水物」と言われることがありますが、この社会保険労務士の試験は記述式ではなく、答えを選んでシートを塗るわけですから、悪い良い方をすれば、まぐれでも1問くらい当たる可能性はあります。
もちろん、まぐれで合格できるものではありません。
そんなことは当たり前です。
でも、「合格不合格の境目にいるときには、1点で泣くことも、また笑うこともあるわけ」なんです。
だから、私は折りたたみ式の杖まで持って、ずっと8年も受験したわけです。
「今年こそは合格ラインに・・・かすらないだろうか・・」
私は毎年、合格ラインすれすれでも良いから、それにかすることを願っておりました。
受験のある8月は病気のことでもう普段は外出するのにも一苦労でした。
合格した年の前年から、暑さ対策に「我慢大会」という訓練を施したほどです。
「試験の直前期にしていたことは何ですか?」
「私は・・・暑さ対策のため我慢大会です・・」
「えっ!?」
受験の朝、会場に到着した私の目に映る光景は、「会場の周りを蜃気楼が見える」という、まるで砂漠でいるかのような状況。
「このことを克服しない限り、私に合格という文字を目にすることはできない!」
そう思った私の頭の中を駆け巡るのは、「宇宙戦艦ヤマト」の初回放送分の沖田艦長の言葉でした。
『「奴らにはこの戦艦(ふね)では勝てない。我々にはあの遊星爆弾をもう止める力はない。あれが我が母なる地球の姿だとはな・・・。」
目の前には遊星爆弾により海はも蒸発していまい、ただ放射能に汚染されて赤く妬け果てた地球の姿があったのです。』
私も、治る見込みのない難病等と闘いながら、このような何とも言えない気持ちで、ずっと何年も受験をしてきたのです。
ただ、気の遠くなるようなかすかな灯りを信じていました。
それは砂漠で遠くに見えるというまるで蜃気楼のような、『「希望」という名の本当にかすかな灯り』です。
当時の私の気持ちは、
『遠く14万8千光年の彼方にあるイスカンダル星へ行って、放射能除去装置を受取り、また帰ってくるという宇宙戦艦ヤマトの、
「光の速さでも片道だけでも14万8千年もかかる行程を、たった1年で行って帰ってこなければ残った地球の人類が滅亡してしまう」
という常識では考えられないことに挑戦するときの悲壮感』
そのことをいつも思い浮かべていました。
そして、「宇宙戦艦ヤマトも頑張ったじゃないか!」と自分自身をいつも励まして、折れそうになる自分の心を保ってきたのでした。
今は、あれから比べると本当に格段に心身ともに良くなることができました。
それは、私に障害年金の申請代行業務を託されたみなさんの、認定後に「先生に頼んで本当に良かった!ありがとう」という言葉のおかげです。
私も「まだ生きていても良いんだ」と思えるようになりました。
自分自自身の存在をやっと肯定化できるようになったのです。
長かった病気療養の生活を思うと、本当に私にとって今は夢のようです。
仕事を任せてくださり、その上、こうして感謝のお言葉までいただくことができる。
この私の気持ち、みなさん、おわかりいただけますか?
「石の上にも3年」
そういうことわざもありますが、私は病気で休職を続けて後、県庁を退職して開業をするまでにはもう「約13年」にもなっておりました。
「石の上にも13年」
私風に言えばそういうことです。
ですので、「私が諦めていれば、今頃、どうなっているのか・・・。」
そう考えると私はやっぱりこう思います。
「みなさんも諦めたらだめです!病気であっても試験であっても、得心できるまで続けてください。本当にどうか後悔を残さないためにも。」
今日はこのことを言いたかったのです。
これから試験を受験される方、またご病気の方も、それぞれができる範囲の中において。
それぞれがご自分の人生を悔いの無いように、お過ごしになっていただきたいと存じます。
以上、『「道は開ける」~悔いを残さないためにも~』についてでした🙇
では、また来週金曜日にお会いしましょう。🙋
なお、よろしければ次のブログもご覧になってください🙇
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